無題


こんばんは。

カルマの法則のブログが中断してます。
中断しぱなっしの割には、日々のアクセス数が減りません。
更新を楽しみにしてくださってる方々には、大変申し訳なく思ってます。

更新をしない理由は、やはり、私自身もまだ完全にカルマの法則を把握しておらず、完全に把握していない者がむやみに知ったかぶりで真理を説くと、間違ったことを教えてしまう可能性があるため、更新を控えております。

間違った情報を広めてしまって、逆に人々を不幸にしてしまうと、これは良くありません。
もちろん、間違った情報を流して人々を不幸にしたことによって、私自身も負のカルマを背負うことになります。つまり、将来か次の生で私も間違った情報をつかませられて不幸になる原因を作ってしまうということです。
これでは、これを読んだ人も私も本来の目的とはまったく逆の方向になってしまいます。


ということで、更新はしばらく致しません。ご理解を下さいませ。
Posted by: 東京漢方 | - | 20:59 | - | trackbacks(0)

薬を使わず皮膚を綺麗にするには(その5)


アトピー、乾癬、掌蹠膿疱症などの皮膚病や乾燥肌や敏感肌を、発症又は悪化させる原因は、大きく分けて3つあると思います。(現在私が思うところに)

1、不摂生(めちゃくちゃな食事と不規則な睡眠が主。)

2、心(正しくない良くない心の在り方を持ち続けてしまうことなど。)

3、間違った行為(薬や保湿剤などを使ってしまうことなど。)



2の心の問題については、「薬を使わず皮膚を綺麗にするには(精神編)」と「カルマの法則(1〜)」をお読み下さい。(アンチオカルトの方はお読みにならない方が良いかもです。)


1と3については「薬を使わず皮膚を綺麗にするには(その1〜その4)」に対し、今回少し補足致します。


本題です。

既に多用する時期は過ぎてしまいましたが、マスクのことです。

特に顔に湿疹や痒みなどがあったり、顔の肌(特に口周り)の乾燥がひどい人は、マスクをするのは慎重にお願い致します。

インフルエンザや花粉の時期は過ぎましたが、、、こういう時期は多くの人がマスクをします。

顔の乾燥がひどい人や顔の湿疹がある人がマスクをすると、動いたりしゃべる度に顔の肌(特に口周りの肌)とマスクが擦れて(すれて)、刺激がいきます。

マスクをしてると刺激が常時いきますので、肌の弱い人はすぐ痒みや赤みが出てきます。

最近の流行りのマスクは紙製のカッコイイものが多いですが、これには薬品が染み込ませてあります。新品のマスクは薬品のいいにおいしますよね。もちろん衛生上のためにですが、この薬品が弱った肌にはすごい悪いんですね。薬品の塗ってないマスクでも、肌とこすれれば、湿疹痒みは増します。


春先、口周りの湿疹痒みがある患者さんたちに、マスクをしないように勧めたところ、ほとんどの患者さんにあっという間に顔の湿疹痒みの良化がみられました。

このようなことからも分かるように、顔の湿疹痒みに対しては、できるだけかいたり手で触ったりするのはやめた方が良さそうです。刺激がいくと湿疹痒みがでやすくなりますので。どうしても痒いときのみ、やさしくかくというのがいいかもしれません。顔は一番先に治したいものですので。
(身体の痒みは、逆にかいて悪いものを出すという考えが良い場合が多いと思います。)







次行きます。

食べ物の話です。

皮膚にとって、肉や脂身の多い魚や魚卵はあまり良くないんですが、これらを一切やめてもなかなか症状が良くならない患者さんが多いのは事実です。

皮膚病悪化の原因は、他にもたくさんあるからだと思います。

よって、肉などをどうしても食べたい方は、少しなら食べてもほとんど問題ないと考えます。
ただ、前のブログにも書いた通り、なるべく家での手作りの肉料理を食べるようにして下さい。
外食(ファーストフード、ファミレス、コンビニ弁当)の肉料理は、基本的に保存料着色料化学調味料などが入っており、これらは体内で分解しにくく、分解不十分のまま血液に溶け込んで、最終的に皮膚上に湿疹痒みとして出てきます。

某ファーストフードのハンバーガーをベランダなどに1年間くらい放置しても、全く変わらない(見た目的に)と聞いたことがあります。パンも野菜も肉も見た目が変化しないらしいです。保存料まみれということです。
微生物でも分解できないものを、どうして人間の体内で分解できるのかということです。100%トイレで排泄できればいいですが、そうもいかず、排泄の一部として皮膚上にも出てきます。まあ、おいしいんですがね(笑)

ファミレスなどの料理というのは、基本的に冷凍食品で、保存料など非常に入ってます。まあ、おいしいんですがね(笑)

コンビニ弁当のご飯というのはある意味不思議で、レンジでチンすると、まるでできたてのあったかご飯のような適度なぱらつき感があってとてもおいしいです。
しかし、家庭で作った弁当のご飯をレンジでチンしても、あったかいですが、あの適度なぱらつき感はなくすこしねっとりした感じがあります。
コンビニ弁当のご飯というものは、白い粉を大量に入れて炊いてるんですね。白い粉といのは味はないらしく、目には見えません。
白い粉の成分は知りませんが、皮膚の弱い方や少し健康ではない方にとって、これは非常によくないです。
コンビニ弁当ばっかり食べていると、皮膚は確実に荒れてきます。
じゃあ、コンビニのパンは大丈夫かというと、パンにもなんか入ってるみたいです。


現実的に考えて外食なしの生活ができない人達も多いと思いますが、こういう現実は知っておいた方が良いと思います。可能であれば、改善することは薦めます。





そして、次は甘いものです。

甘いものって、おいしいですよね。私もチョコレートやアイスクリームには目がないんですが・・・。

甘いものが皮膚によくないということは、なんか聞いたことがあると思います。

まず、砂糖というものは、腸内の悪玉菌のエサになるということです。
砂糖を摂り過ぎると、悪玉菌の勢力は増し、腸内はボロボロの汚いものとなります。
腸が汚れると、肌は荒れてきます。


もう一つ、世間ではあまり知られてないとても重要なことがあります。

甘いものの中でも、特にチョコレートなどドロドロした甘ったるいものを食べ過ぎると、気の流れに詰まりが生じます。

(補足)
「気」という概念は、西洋医療では重視されておりません。「気」というものは目には見えないからという理由が大きいからだと思います。
現代の日本の医療は西洋医療が中心ですので、日本人は「気」の概念を軽視しているのが現状だと思います。
しかし、東洋医療やインドのヨーガなどでは、この目に見えない「気」というものを非常に重視しております。


はい、難しい説明はあまりしないようにします。

つまり、チョコレートを食べると、甘くておいしいという味覚があります。
それと同時に、気持ちがとろっとなる感じ、身体全体に程よい脱力感が生じ、なんか幸福感というか、一種の気持ち良さも味わえます。(説明が下手ですみません、私の言いたいことがなんとなく分かっていただけたらと思います。)

そのとろっとした感じが、そのまま「気」の流れに詰まってしまうのです。

もちろん目には見えません。

目に見えない管というものが身体にたくさんあると思って下さい。その管が、チョコレートなどを食べた時のどろっとした感触で、詰まると考えてもらえればと思います。

「気」が詰まると、色々な問題が生じます。

肩こり、腰痛、偏頭痛、冷え性、だるい、頭が重い、集中力の欠如、元気がなくなるなど、そして湿疹痒みの悪化も、生じてきます。
もちろんこれらの症状は、気の詰まりだけによるものではありません。他の要因もいくつかあり、総合的に悪化してしまうということです。

チョコレートが一番良くないと思いますが、甘いもの全般が「気」を詰まらせます。
生クリーム、アイスクリーム、カスタードなども、気の流れを悪くします。
プリン、甘い砂糖入りのジュース、飴などもよくありません。
比較的、和菓子の甘いものの方が、詰まりは少ないとは思いますが、食べ過ぎたらチョコレートと同じだと思います。
饅頭のあんこより、甘い寒天の方が、被害は少ないとか、なんとなく想像できると思います。


ただ、、、
チョコレートや生クリームやアイスクリーム大好きな人達は、非常に多いと思います。

大好きな人達にとって、完全にやめるのは難しいですよね。

チョコレートって、一種の麻薬性があるからなんです。

タバコやお酒もそうですが、あの快感が常習化すると手放せなくなります。

チョコレートをもし1週間でも食べないように我慢できたら、すっぱりやめられるかもしれません。結構、食べないと食べないでいけちゃいます。(個人差あると思いますが。)

チョコレートやめると集中力もでてきて、健康な感じを実感できる場合もあります。

そうしたら、もう、自分の健康か一時的な食の幸せか、天秤にかけるしかないと思います。。。

甘いものやめると、意外に皮膚も良くなりますので、お試し下さい。




最後にちょっと、、、

最近、砂糖に代わる甘味料が非常に出回ってます。
コーラとか缶コーヒーとかなどでよく見かけますが、アスパルテームなどの合成甘味料が流行ってます。
合成甘味料の良いところ?というのは、確かに太りづらいということだけです。カロリーは確かに少ないので、太りづらいでしょう。
しかし、その他では砂糖よりたちが悪いと思った方が良いと思います。
人工的に作られたものですので、保存料着色料化学調味料などと同等です。
気の詰まりも生じます。頭がボーっとした感じも生じます。
業者の巧みな宣伝などにひっかからぬよう、お願い致します。
どうしてもやめられない人は、量を減らす努力はしましょう。
ちなみに、私はアスパルテームのいっぱい入ったコーラはよく飲んでしまいます(笑)。健康に悪いと分かっているんですが・・・。
結局は自分自身の健康のことですので、あとは個人の問題や判断ということになります(苦笑)。
Posted by: 東京漢方 | 健康、美容 | 23:32 | - | trackbacks(0)

カルマの法則(11)


こんにちは。

前回の更新から少し間が空いてしまいました。
何度か続きを書こうとパソコンの前に座るのですが、やはり書けないんですね。
なぜかというと、このブログを読んで本当に理解している人が少ないと思えたからです。
この私のブログを読んでなんとなくは分かったんですが解釈の違いというか誤解というか、私の意図するところからは少しずれている人が多いと、私は感じます。
私の説明の仕方が悪いという理由が大きいんですが・・・。
それと、いきなりこういった現実離れした話をされて、すぐ完全に理解できる人は少ないと思います。以前から精神的な分野に興味を持たれて知識がある人は結構理解しやすいとは思いますが、普通は混乱しまいがちです。

間違った解釈をされてしまうということは、場合によっては逆に不幸にしてしまうこともあり得るのです。
それは本末転倒なことなのです。

よって、更新をためらっておりました。

しかし、ここまで書き続けた以上、あと少しなので最後まで書きたいとは思ってます。(最後まで書くかは断言しません。)

なにとぞ、誤解して解釈されないようにお願いいたします。
このブログを読んでいて悪い感情が出てきてどうしようもないというお方は、悪いことは言いませんので私のブログのことは忘れていただきたいと思います。いずれ時が経てば、分かる時が来るかもしれません。その時にまた読んでいただければと思います。

今日から更新する内容は、まとめに入ります。
皮膚病(あらゆる病気全て)とカルマの法則についてまとめます。
しかも、なるべく分かりやすく誤解を与えないように書きたいと思います。


では本題です。


人間の死亡率は100%。


はい(笑)、いきなり何を言い出すんだと思った方は多いと思いますが・・・。

人間に生まれた以上、必ずいつかは死ぬのです。
おそらくヒトという生き物が現れてから今日まで一切の例外はないと思います。どんなに偉い王様でも、どんなに権力を持った者も、どんなに大金を持った者でも、どんなに良い行いをしてきた者も、過去聖人や聖者と呼ばれた者でも、全く平凡な者でも、どんなに悪人でも、死というものから逃れるすべはないのです。


「この世は無常である。」

無常(むじょう)とは、この世ははかないという意味です。

無情(むじょう)ではありません。無情とは、感情や思いやりがないという意味で、ここでは使いません。

無常という難しい言葉をまた使ってしまう自分に、ちょっとむなしさを感じますが・・・。


人間は生まれた時から母の経血にまみれて(血まみれ)、おぎゃーと泣きながら生まれます。
人生というものは、うれしい楽しい経験より、辛い苦しい経験の方が多いのが常です。
ある時は嫌な人とも一緒にいなければならないし、ある時突然最愛の人との別れがいつか必ず訪れます。
どんな人間も大小ありますが病気になり苦しみます。
どんな人間も老いというものは抑えが効かず、肌はしわができて、髪の毛は白くなり抜け落ち禿げて(はげて)きます。歯は抜け落ち、腰は曲がり、身体を自由に動かせなくなってきます。耳は聞こえなくなっていき、目も見えなくなっていきます。
そして、最期は死ぬのです。

これだけでも、この世は無常であるということが理解できると思います。

これは、リンゴを手から離したら地面に落ちるのと同じことです。
どうしようもないことなのです。
決まりきったことなのです。
自然の摂理とも言うべきかもしれません。

これらに対して、無駄な悪あがきをすること自体が馬鹿げていると。
手から離したリンゴを途中で軌道を右に曲げてみようとしたり、重力に反して上の方に行かせようとすることなど自体が馬鹿げた話であると。


はい、私が何を言いたいのかというのは、
「自分の目の前で起きることは、全て受け入れるべき」
ということです。
これは非常に大切な考えだと思います!

これを言いたいがために、長々とカルマの法則(1〜10)を更新してきたのかもしれません。

人生では、日々嫌なことを経験します。
この嫌なことというのは、大きく2種類あります。

1つは、世の中の摂理、無常さということです。
決まりきったどうしようもないことに対して、怒ったりイラついたりすること自体が馬鹿げているのです。
例えば、人間は必ず老いが来て死ぬのですから、それに対し執着したり嫌悪したり恐怖することは意味がないということです。
また、天気というものは、晴れたり雨が降ったり、暑かったり、寒かったり、これはどうしようもないことなので、これに囚われて(とらわれて)嫌悪したり悲しむことなどは意味がないのです。

もう1つは、カルマの法則にのっとって、過去の自らが成した悪い行いが返ってきて苦しむこと。
よって、自分に起きることは全て仕方ないことだということに気付くべきです。全てはカルマであり自業自得なのです。身から出た錆(さび)ということです。
起きること全ては偶然ということはないのです。必ず因があります。
絶対こんな悪いことはしてないのに〜とか、なんでこんなに理不尽なことが起きるんだ〜などは、過去世での悪行が返ってきたのだと思います。過去世のことは普通は覚えておりませんので・・・。

また、ほとんどの人々が、自分で求めておいて、自分で苦しんでいるのが現状です。この道理に気付かないで苦しんでいる人々が多いのです。

補足します。
「自分で求めておいて、自分で苦しんでいる」
↑意味不明ですよね。きっと。。

実は前のブログ「カルマの法則(10)」で少し触れていました。
「今の世の中の多くは、お金をいっぱい稼ぎ、色々な快楽をお金などで手に入れて幸せを得ようとしています。しかし、このようなものは全て一瞬の幸せであり、その後に苦しみがあるだけです。」(カルマの法則(10)より転載。)

例えば、、、
高級ブランドのバッグが欲しいと求めます。
手に入れます。
しかし、すぐに次はもっと良いものが欲しいということになります。
それで、苦しむのです。

もう一つ、、、
美味しいものが食べたいと求めます。
美味しいものを食べます。
でも、また同じ美味しいもの叉はそれ以上に美味しいものを食べたいと苦しみます。

自分で求めておいて、自分で苦しんでいることに理解できましたか?
物欲、食欲はとどまることを知らず、いつまでも苦しみ続けるのです。

お酒、タバコ、コーヒー、甘いものなど嗜好品は、麻薬のように習慣性があり、一度その快楽にひたってしまうともう手放すことができず、苦しむのです。

セックス、マスターベーションなどの性感にはまりすぎてしまうと、これも習慣化します。
性欲も抑えないと、苦しみは生じます。

常に若くいたい綺麗でいたいなどの欲も、この世は無常であるので、どうしようもないのです。これに執着して囚われると、苦しみます。

権力欲(支配したい、偉くなりたい、出世したいなど)も、望み通り権力を得られないと苦しみが生じます。望み通り権力を手にしても、永続させることは至難の技であり、必死に永続させようと苦しみが生じます。(テレビに映る政治家たちを見ると分かりやすいと思います。いつ自分が落とされるのではないかと常にひやひや心配しているのが分かります。)

金銭欲、ただ単にお金が欲しいという人もたまにいます。はっきり言ってしまうと無智であるということになってしまいます。(失礼ですが・・・。)
お金がいっぱい手に入れば幸せになれると思っている人たちが、今の世の中どんなに多いか。
お金で欲しいものを買って、美味しいものを食べて、旅行などをたくさんして楽しむが、その後にはまた心の不充足感というか、苦しみが生じます。
(私はお金は要らないとは言ってません。必要最低限は要るでしょう。足るを知れば、必要最低限で済みます。)


これらのように、外側に求める快楽や幸せというものは、限界があるのです。

しかも、外側の幸福を求めると、その後苦しみがやってくる仕組みになっています。

この道理は気付いて欲しいです。

じゃないと、半永久的に苦しみます。ひどいと精神が崩壊しノイローゼやうつ病、更にひどいと犯罪に走ったり叉は自殺する者もいます。

この世は無常ですから。


では、どうすれば良いのかということになりますが、、、

内側の心の幸福を増大させるしかないです。

内側の心の幸福を増大させる方法は、少ないですがあります。

一番皆様に手っ取り早いのが、功徳を積むことです。
初めは、功徳や陰徳を積むのが、一番楽だし、分かりやすいからです。
功徳の積み方は、カルマの法則(1〜序盤)に書きましたのでもう一度お読み下さい。

見返りを求めず、ただただ他人のために功徳を積み続ければ、いずれ良い因が実って、良い果が自分にやってきます。
これは死ぬまで実践していただきたいと思います。
功徳だけは、死後、次の生に持っていけるからです。

その前に、真理を知りたいという正しい欲を持ち続け、内側の心の幸福を増大させる方法を知ってそして実践したいと想い続ければ、いずれ必ず貴方の前に適切に指導してくれる人が現れます。(カルマの法則により十分な功徳が貯まれば願望が叶い必ず指導者が現れます。何年かかるか分かりませんが。もしかしたら次の生かもしれません。)続きはその師と呼ぶべき人から教わっていただきたいです。

内側の心の幸福の増大の方法をこれ以上ネット上で書くことは、良くないことであると思います。
勘違いしやすいのです。適切な指導者に口頭で丁寧に教えてもらわないと、普通は間違った方向に突っ走ってしまいます。

ご理解のほどよろしくお願い致します。

とにかく、今は功徳を積むことです。




また話が反れました。すみません。

戻します。

外側の快楽を求めすぎると苦しみが生じます。

その苦しみとは、嫌悪(怒り)です。
イライラやストレスが貯まるということです。

その前に、色々求める心、すなわち貪り(むさぼり)(色々な欲や、執着など)の心が大きくなり、その後に苦しみ(怒り、嫌悪など)が生じます。

そして、この道理が分からない、すなわち、無智であるということになります。

カルマの法則(10)に書いたように、怒り、貪り、無智の三悪が、、、
皮膚病(アトピーなど)を始め全ての病気を悪化させている原因だと、私は思っています!!!



カルマの法則(12)に続く。
Posted by: 東京漢方 | 精神 | 23:32 | - | trackbacks(0)

カルマの法則(10)


人が死んだらどこへ行くのでしょう。

日本は仏教の国です。

とは言え、宗教と言えば、あやしいもの、騙される、怖い、洗脳されるといった、マイナスのイメージが我々にはあります。

これは、宗教=新興宗教になってしまったからかもしれません。

ほとんどの新興宗教は、金儲けのためのものです。(全てとは言いませんが、ほぼ全てだと思います。)

千何百年前から伝えられてきている正しい仏教の書物は、今の私達にとって非常に勉強になることが多数書かれております。

日本人に生まれた以上、仏教が一番心に入って来易いとも思います。

それでも、くどいですが、私は無宗教です。(笑)




本題です。

先におおまかに説明すると、人間の究極の目標は「解脱(げだつ)」です。
解脱とは、六道輪廻(ろくどうりんね)から外れ、幸福に満ちた場所に行くことらしいです。


それでは、仏教の考えによる死後の行き場所を書きます。
(同じ仏教でも、翻訳の仕方の違いか分かりませんが、微妙に表現の仕方が違いがあります。ここでは、チベット仏教での表現を使います。)


あなたは死をどういうものだとお考えですか?
ひょっとしたら、あなたは死とは火が消えていくようなもの、水が蒸発して消えていってしまうものと考えているかもしれません。
もしそう考えているのだとしたら、それは大きな間違いです。
ある時は喜び、ある時は悲しむ、この心というものは物質でもなければ、空虚な無でもありません。
心には始まりもなければ終わりもありません。

心は生き物の死を超えて流れ続けています。
では、心の流れ(心の連続体)が途絶えることがないとして、生き物が死んだ後、心には何が起こるのでしょうか?
心はバルド(中有)という状態に入っていきます。
死後49日、死者の魂はこのバルド(中有)にいると言われます。
そしてバルドを行く心のたどる道を決めるのは、生きている間に行った行為なのであります。(ここの行為とは、心の行為、すなわち目に見えない個人の生前の思想や感情なども含みます。)
つまりこの49日で、おおよその次の行き先が決定するのです。
行為の持つ潜在的な力は、花の香りのように心に染み付いて、再び輪廻に再生する原因となります。

仏教では、六道輪廻という考えがあります。
生き物が死んだ後、この6つのどれかに再生するということです。
六道とは、神々(別名、天界)、アシュラ(別名、阿修羅、修羅界)、人間(別名、人間界、精霊界)、動物(別名、畜生界)、餓鬼(がき)(別名、餓鬼界)、地獄(別名、地獄界)。
我々が死後どこに行きたいかという希望は全く通用しません。
生前の行いが全てを決めるように、うまくできております。しかも6つのうちどれを選ぶかは自分自身が決めて行くようです。餓鬼や地獄なんて誰もが行きたくないと思いますが、心に染み付いた記憶というものが餓鬼や地獄に近い場合、残念ながらそちらの方に流れていくようです。詳しくはここでは割愛します。

輪廻を轆轤(ろくろ)や水車に例えることができます。
それは、いつまでも同じところで回り続けているからです。
輪廻は瓶のようなもので、私達はその中に閉じ込められている蜂のようなものだとも言えます。蜂は出口を求めて瓶の中を飛び回るが、上へ行ったり下へ落ちたり、真ん中で休んだりできるだけで、結局は同じ瓶の中を飛び続けるだけです。それと同じように、輪廻の中にとらえられた心は、神々に生まれようとアシュラに生まれようと、人や動物や餓鬼や地獄の住人に生まれようと、同じ輪廻という瓶の中に閉じ込められているのです。
(ここで勘違いしやすいのは、六道の中の神々の世界です。六道輪廻の中の神々に生まれ変わっても、いずれはその神々も死を迎え、また輪廻をさまようこととなります。また、俗に言う天国に行くというのは、六道輪廻から外れられる解脱です。)

始まりもない遠い過去から、生き物はこの輪廻の中を旅し続け、様々な生き物として再生を繰り返してきました。
輪廻に生まれることが幸福を与えてくれるならば、それはそれでけっこうなことです。しかし、残念ながら、輪廻の本質は苦しみなのです。輪廻にあらわれた莫大な生き物たちが流した苦しみの涙を集めておいたなら、それは海よりも巨大なものになるでしょう。
(六道のうち、神々だけは至福に満ちていると言えますが前に書いた通りいずれは神々も他の五道に堕ちるということです。アシュラ、人間、動物、餓鬼、地獄は、それぞれ度合いは違えど、苦しみが基本となります。)

怒りや貪り(むさぼり)や愚かさ(おろかさ)におかされた心の連続体は、地獄の住人、餓鬼、動物、人間などの六つのタイプの生き物として、この輪廻にあらわれると仏教的世界観は説いています。
心(意識)の体験領域全体を六つの異なったタイプに分けて考えられることができるということです。
この六つのタイプの生き物のうち、ただ人間だけが怒りや貪りや愚かさを滅し、輪廻を抜け出て心の本然のありかたにたどり着く可能性を持っていることなのです。(これ非常に大事!)


ここで、怒り、貪り、愚かさについて補足します。

この世界は、喜びを求めた瞬間、多くの苦しみが忍び寄ってくる仕組みになっています。つまり、喜びを求める心が苦しみを引き寄せているのです。その道理が理解できず、むやみやたらに喜びを求めようとする心の働き、それこそが「煩脳(ぼんのう)」です。
煩脳は、アルコール中毒者の心の状態に例えることができます。アルコール中毒者は、それを飲まない人に比べて、アルコールが与えてくれる喜びを経験できるというメリットがあります。しかし、アルコールが手に入らないと、想像を絶する猛烈な苦しみに見舞われなくてはなりません。
このように煩脳は、一見喜びをもたらしてくれるように見えるが、満たし続けない限り、即苦しみに変わってしまいます。
「煩脳=苦しみ」これは私達が本当に幸せになるために絶対に理解しておかなければならない法則です。

煩脳とは、大きく3つに分類できます。それが怒り、貪り、愚かさです。

怒りとは、邪悪心のことで、対象に対して排斥(はいせき)し、破滅させてやろうとする心の働きです。暴力、ひどい場合は殺生という行為にまで及ぶこともあります。もちろん、心の中で「あいつはむかつく」など、特に利己的な理由もしくは自分の器が小さいがためからのものは、罪深くなります。
戦争や出世争いや小さな喧嘩などで、相手を倒して、自分が幸せに感じることがありますが、これはカルマの法則などにより自分自身に苦しみが返ってくることです。

貪りとは、執着、愛着、終わりのない欲望などを示します。
人間の欲とは、きりがないものです。
これが欲しいと思って手に入れると、その次はあれが欲しいということになります。
物、食べ物、異性、美貌、若さ、お金、権力、名誉など、もっともっとという欲は収まることを知りません。

愚かさとは、無智、迷妄(めいもう)ともいえます。
簡単に言うと、心が闇に包まれ真理を見極めることができず、目の前の喜びに心が縛られた状態です。
今の世の中の多くは、お金をいっぱい稼ぎ、色々な快楽をお金などで手に入れて幸せを得ようとしています。しかし、このようなものは全て一瞬の幸せであり、その後に苦しみがあるだけです。
真理が目の前にあっても、それを除外したり、又は、分からない気付かないというものも無智ということになります。


今回も色々書いてきましたが、この短い文章だけでは誤解される部分もたくさんあると思います。
たくさんの正しい教えを理解しなければ、この私のブログはただ勘違いされるだけの悲しいものととなってしまいます。
今からでも、「真理を知りたい」と強く想い続ければ、いずれ真理の教えにたどり着くと思います。その前に、書物などで知識を手にしておくのもいいと思います。真理を知りたいという欲は、数少ない正しい欲です。

私たちは無限の喜び、永遠の喜びを求めてます。
しかし、この世の全ての物質は有限であるし、全ての現象は常に変化し続けています。私たちが手に入れられるのは、欲望の求める極一部であり、しかもそれは一時期のことにすぎません。
それが、「外側に求める幸福」の限界なのです。
「内側の幸福」を増大させれば、外側の幸福を求める必要性がなくなります。
なぜなら、「内側の幸福」とは、外側の幸福より何百倍も何千倍も幸福だからということらしいです。しかも永久的にです。
内側の幸福とは、真理を学び、実践していけば、おのずと得られるものです。


チベット密教の教えの中には、死後持っていけるものは、5つあるとされています。
*功徳
*強靭な意志
*正確な識別智
*修行上の経験
*導師(師)、守護者とのパイプ
死後、これら以外のものは持っていけません。だとするならば、例えば、一生限りの財産や刹那的な喜びよりも、来世の悲惨な転生を避けるため、功徳を積み、法則を実践することの方が、はるかに価値があることが分かります。

また後半、話が反れました・・・。
カルマの法則(11)に続く。
Posted by: 東京漢方 | 精神 | 23:07 | - | trackbacks(0)

カルマの法則(9)


こんばんは。

何度も繰り返しますが、私は無宗教であり、ブログに書いてあることを全員に無理やり押し付けるつもりは全くありません。
何もかも最後に決めるのは、それぞれ個人が決めることだと思います。


ではでは、、、

インドに亡命中のダライラマ14世がインドにて、欧米系やアジア系の外国人の前で講演した内容の一部です。

「科学に裏付けられた外的発展と、結びついた現代教育と、内面の精神世界と結びついた古くからの知恵が、一つになって始めて完全な人間と言えると思う。」
中略
「ある日食事中にハチが飛んできて床に止まった。
するとある外国人女性がハチをピシャッと叩いた。
その外国人女性はとてもいい人だったが、ただ飛んでいただけのハチを殺すのをなんとも思わない。
もし地面に落ちたならかわいそうに思って、紙に包んで窓から外に出してやるなどします。
叩いて殺すなど、チベット人から見れば論外でしょう。
これは習慣や宗教の違いによるかもしれません。
キリスト教は人々に利益をもたらす良い宗教です。
しかし虫などに対する慈悲について語らないでしょう。
私たち仏教徒は、虫であっても慈悲を持って接しなければなりません。
虫も人間も区別のない苦しみを持つ存在であるからです。
心の訓練というものは、こういった点から示される考えなのです。」


・・・。

これは、心の訓練というものを忘れてしまった現代人にとって、初めに説明する言葉として非常に分かりやすく優しい説明だと思いましたので、抜粋致しました。




虫の話が出ましたのでついでと言うのもなんですが、以前のブログで話を保留していました「食べ物とカルマ」について少し触れます。

動物も人間と同じく、痛みや恐怖など苦しみを持つということです。
また、人間の死後、動物に生まれ変わることもあるということも知っておくべきです。同様に、今生きている人達の中には、前世が動物だった可能性もあるということです。

ペットで、たまになんかこいつは人間っぽいなと感じることがあります。
もしかしたら、飼い主とペットのお互いの過去世では、人同士で何か縁があった可能性もあります。

サーカスにいるような動物は、自転車に乗ったり、縄跳びを2本足で飛んだり、色々人間のように動きます。もちろん、調教されてできるようになったんだと思いますが、私個人的には高い確率で過去世が人間だったんだと思えてなりません。

世界には、絵を綺麗に描く象もいます。長い鼻でペンを持ち、はっきり言って私より全然うまい絵を描いてました(笑)。

日本でも度々動物がテレビで人気者になることがあります。
東京の多摩川で可愛らしいラッコが時々出てきて話題になった時もありました。
ラッコが水面から顔を出して、人だかりの方をじっと見ていました。
あくまで仮定ですが、おそらくあのラッコは自分が人間だと思っていたんだと思われます。人がいっぱいいるのでラッコ自身もあの人込みの中にいるべきだと思ってはいるものの、行けない・・・。

前世が人間で今世が動物の場合、中にはまだ自分が人間だと思ってる場合があるそうです。
切ない話だし悲しい話だし、また、怖い話でもあります。


さて、現代人の多くは動物の肉を食べてます。

私も動物の肉を食べますが、最近は極端に食べる量は減りました。
菜食主義者(ベジタリアン)になれとは言いませんが、減らせるんでしたらできるだけ減らすべきだと思います。

我々が動物の肉を食べる時、微量ですが負のカルマを背負います。
微量とはいえ、何十年も食べ続ければ結構なカルマを背負います。すなわち、自分自身にカルマは返ってくるので、苦しみを味わうこととなります。

家畜が殺される時、その家畜は痛みなどの苦しみを感じます。
アメリカや日本で有名な某ファーストフードでは、ニワトリを熱湯に浸けて殺すらしいですが、きっとこのニワトリ達の中にはすぐには死ねず、熱さや痛みや息ができない苦しみを味わって死んでいくものもあると思われます。


我々消費者自身の手で家畜を殺してはいないものの、食べる人がいるから殺される家畜がいるという事実は代えられません。
よって、これらの家畜の苦しみを、我々は負のカルマとして背負うことになります。

肉をよく食べる人は、イライラしやすい傾向があります。
これは科学的や医学的な理由もありますが、殺された動物の苦しみを受けてイライラしていることもあると思われます。
同時に色々な病にかかりやすくなる事実もあります。

肉を食べればスタミナがつくという話はうそで、毎日穀類豆類野菜を中心とした食事が最もスタミナがつきます。

私も色々な文献や話でこの動物の肉を食べることについて読んできましたが、絶対食べてはいけないということではなさそうです。
もちろん食べないに越したことはありませんが・・・。

これから動物の肉を食べるか食べないかは、個人の自由です。
しかしこれらのことを知っておくと、動物に対して慈悲の心が芽生えてくることでしょう。
動物だけではなく、自分より弱い立場にあるもの全てに慈悲の心が出てきます。
慈悲は、人間の霊的成長にとって必要な要素の一つです。

そして、、、
もう少し地球上の人間のレベルが上がった未来では、動物の肉を食べるなんて野蛮な人たちはいないでしょう。




別の話題にします。

私は色々な本を読んできましたが、本(宗教や著者の考えなど)によって説明の仕方に違いはあるものの、共通してることを一つ話します。

「全は個、個は全」です。

自分、他人、動物、魚、虫、花、草、石、雲など、この世に存在するもの全てがつながっているということ。

あなたは私であり、私はあなたであるという考え。

誰かを傷つければ、それは自分自身を傷つけているという考え。(これはカルマの法則を知っているのであれば容易に分かります。)

この世界のあらゆるものは、互いに依存しあって存在しています。
何一つとしてそれだけで孤立しているものはありません。

難しくは考える必要はありませんが、、、ただ漠然と今は思っていればいいと思います。私もまだ何となくとしか理解しておりません。

ただ一つ言えるのは、利己的な欲望がどれだけ摂理に反していることかは分かると思います。
自分一人が良ければいいという考えは、どう考えても不幸へ突っ走っていることになります。

次回、利己的に生き抜いた人達が死後どうなるか書きたいと思います。
(ちょっと怖い話です・・・。)

カルマの法則(10)に続く。。。
Posted by: 東京漢方 | 精神 | 22:09 | - | trackbacks(0)